イタリア ヴェネツィア〜トスカーナと小国家サン・マリノ
ヨーロッパ・スケッチツアー オーダーメイド 個人からグループまで
トスカーナは秋が魅力的
イタリア ヴェネト〜サン・マリノ共和国〜トスカーナ地方へのスケッチツアーです。 2011年秋から2年ぶりのイタリア。前回は、ローマからヴェネツィアへ北上するルートでしたが、今回(2013.9.25〜10.9)はその逆、ヴェネツィアからローマへ南下するルート。前回のツアーと同じ団体でしたので、訪問する町や村がなるべく重ならないよう、綿密に作り上げたルートです。
たいがい、秋のスケッチツアーはさわやかな秋晴れに恵まれてきましたが、今回はそうは行きませんでした。日本同様、天候不順や異常気象はイタリアにもあるようで、思いのほか雨が多いツアーでした。
ここに紹介しきれない写真はPhoto Galleryにございます。あわせてご覧ください。
ヴェネツィア本島からブラーノ島へ
最初の訪問地ヴェネツィアは、オーガナイザーの希望により、あえて前回のツアーに続けて組み込んだ町。参加者がその都度違うため、ヴェネツィアを初めて訪問する人を考慮しての町選びでした。 ヴェネツィアに限らず、同じ町を再び訪れることが出来るのは、ある意味幸せなことだと思います。初めて訪問したときは、訪れたこと自体の喜びゆえ、「あれもこれも」と詰め込んできた下調べの半分も訪問したり体験したりすることが出来ないもの。再び訪れたときは幾分落ち着いて、じっくりとその町を散策することが出来ます。前回見落としていた風景に感動したり、二度三度と訪問が重なれば。馴染みの宿や店も出来るでしょう。それは、自分にとって貴重な財産です。 ヴェネツィアは、まさにそんな町。特に絵を描く方にとっては、何度訪れても、その都度新しい発見があると思います。
今回、自分自身にとっての新しい発見は、水上バスでヴェネツィア本島から日帰り訪問したブラーノ島。ヴェネツィア本島は何度か訪れていますが、近隣の島は、すぐ近くのリド島に一度滞在したくらい。ブラーノ島は、本島から直行の船はあるものの、ホテルから乗り場までが遠いため、行きはサンマルコ広場からムラーノ島乗り換え、帰りはイタリア本土にあたるプンタ・サッビオーニ乗り換えで訪問。小旅行感満載です。 ブラーノ島は、サンマルコの鐘楼から約10km足らずの距離にある、4つの小島の総称。直径は約500mの平坦な島で、主な箇所へは、5分程度で行き着くことが出来ます。島を4つに分けるのは、ヴェネツィア同様運河です。
水上バス乗降場に降り立つと、こんなちっぽけな島にたくさんの観光客が同時に降りて、一方向へと列を成して歩き出します。この島の目抜き通りへと向かっているのでしょう、それについて行くと、すぐに運河が見えてきます。 さらに運河沿いに歩くと、この島唯一のランドマークであるサン・マルティーノ教会の鐘楼が見えてきます。理由は定かではありませんが、この鐘楼はピサの斜塔同様少し傾いています。おそらく、本島同様干潟に丸太の杭を打ち込み建物の土台としたため、長い間に沈下したのでしょう。 運河とそこに浮かぶ漁師の小船、この地方特有のカラフルに彩られた家並み、そしてその奥に見える教会の鐘楼は、一服の絵のようです。さらに島の外れまで歩き、海岸沿いのちょっとした公園まで行き着いて振り向くと、公園の緑とカラフルな家並みの向こうに、やはり鐘楼が存在感を示した構図。ここで参加者はじっくりとスケッチです。
参加者が落ち着いてスケッチを始めた後、資料集めに目抜き通りまで戻ります。教会のあるガッルッピ広場から、水上バス乗降場への細い路地まで続く広い通りがガッルッピ通り。レース編みが特産のこの島らしく、カフェとレストランの間に、いくつものレースを売っている店が建ち並びます。広場に程近いところには、レース編み学校まであり、見学することが出来ます。
小さな島ゆえ、歩き回っても小一時間あればほとんど見尽くしてしまうので、目抜き通りに戻って昼食。ふらっと立ち寄ったレストランでのピザとカフェ・シェケラートは格別でした。これは、エスプレッソと氷をシェーカーで振った後グラスに注いでくれる、日本で言う濃いアイスコーヒー。このイタリア版アイスコーヒーがやみつきになり、ツアー中どの町でもカフェに入るとこれを頼んでいたほどでした。
ベルティノーロ雨模様の丘の上の村
ヴェネツィアをチェックアウトした朝は、小雨模様でした。専用ボートでサンタルチア駅近くのトロンケット(交通網の変更場所、本島へ行くにはここで水上バスから車に乗り換えます)まで移動し、この日から最終日まで通しのバスとドライバーに会って一路サン・マリノへ向かいます。
その途中のスケッチポイントとして選んだのは、ラヴェンナやチェゼーナに程近い、エミリア・ロマーニャ州のベルティノーロ。 「ベルティノーロ」といっても、どこにあってどんな町なのかわからない人がほとんどだと思います。ここは、観光的な要素は何もないものの、近隣のウンブリアやトスカーナの建造物同様、赤レンガを使って小高い丘に築かれた建物群は、麓から見上げるとピンク色に染まって見えます。13世紀には、この地方を治めたアレクサンデル6世が築いた城塞が既に出来上がっており、その城壁に囲まれて、全体が小さくこじんまりとまとまっています。
ベルティノーロに到着したときは、空はどんよりとしていたものの、なんとかスケッチをすることが出来そうな天候。参加者にこの村の地図をお配りして、めいめいスケッチポイントを探すために解散です。 カメラスケッチは、その後のツアーへの大切な資料となりますので、自身もすぐにあちこちめぐりましたが、その後すぐに雨が降り出し、結局この村を出発するまで止むことはありませんでした。それどころか、日本で最近多く発生するゲリラ豪雨のような土砂降りになってしまい、スケッチどころではありません。ここは早々に出発して、次の宿泊地サン・マリノへと向かうこととなりました。
ランチは、エミリア・ロマーニャ州のファストフード、ピアディーナにトライ。ピザ生地のような形状の無発酵の薄いパンで、パニーニのようにいろいろな具材をはさんで手掴みで食べるものです。
サン・マリノ共和国霧のサン・マリノ
ベルティノーロの土砂降りは、バスで移動を始めてからもまるで追いかけるようについてきましたが、じきに小降りになり、サン・マリノに到着したときは、町全体が夕陽に照らされていました。出発時の日本は夏の名残のような気温、最初に滞在したヴェネツィアも思ったほど寒くなかったのですが、さすがに10月に入り、これだけの高地(標高739m)に来ると、夕方はかなり肌寒く感じます。
サン・マリノ共和国は、イタリア中央部アドリア海寄りの高地にある、紀元301年に国家として成立した、ヨーロッパで最も古い小国家。地図で見ても小さいことはわかりますが、これでも9つの自治体に分かれており、通常サン・マリノといわれているのは、中心となる自治体City of San Marinoです。 麓から棚田のように階段状に町が造られており、町の背後には険しいティターノ山が見下ろしています。この山があったおかげで、サン・マリノは難攻不落の独立国家として存在し続けてきたのでしょう。山に沿って作られた城壁の途中には、3つ城塞(ロッカ、チェスタ、モンターレ)があり、この国を今でも見守っています。
ここには3泊したのですが、着いた翌日は、一面霧に囲まれてスケッチどころではありません。いつも、ロケハンは朝9時頃から行うのですが、さすがに霧が濃いので1時間遅らせました。ホテル周辺はなんとか視界を保つことが出来るものの、城塞まで歩いて登るうちに、やはり霧に包まれてしまいます。この日は、町中にある城壁の門で参加者にスケッチをして頂き、カメラスケッチも諦めざるを得ませんでした。後から聞いたところでは、サン・マリノは霧の町として有名だそうで、特に秋はしょっちゅう霧が発生するようです。
翌日は多少霧が薄く、これなら何とかスケッチが出来ると思い、参加者めいめい自分で見つけたスケッチポイントへ向かいました。自身も前日カメラスケッチが出来なかったので、集中してカメラスケッチを行います。途中、空砲がとどろいたので何事かと思い、ホテルスタッフに聞いたところ「今日はフェスティバルだから」ということでした。市庁舎のほうから楽隊の音が聞こえ始め、程なくして軍隊の衣装をまとった兵隊たちの行進が、ホテル前を通り過ぎます。4月1日と10月1日に行われる「時代行列」というものだそうで、めったに見ることが出来ない行進を見ることが出来ました。
霧の多い3日間でしたが、木々が色づき始めた秋のサン・マリノは、城塞へ向かう小道が美しく、最後の午後には霧も晴れて晴天となり、秋らしさをいろいろな天候から感じることが出来ました。
ちなみに、サン・マリノは独立国家のため、紙幣・コインを独自に発行しており、珍しいゆえ同様に発行されている切手とあわせ、お土産としても販売されています。通貨単位はユーロのため、イタリア及び周辺国から持ち込まれたEU各国の紙幣、コインが流通している中、稀に釣銭などでサン・マリノ独自のコインをもらうことがあります。スーパーなどで買い物をした釣銭にサン・マリノ発行のコインをもらったときは、少しラッキーに感じました。
アンギアーリ快晴の古戦場
サン・マリノを出発する日になって、ようやく朝から快晴となりました。麓まで降りていく道すがらは、日本の紅葉とまでは行きませんが、木々が色づき朝の光に包まれて輝いているようです。この日の予定は、イタリア半島を東から西へ縦断するように移動するその途中、アンギアーリという小さな町でのスケッチです。 ここは、イタリアの最も美しい村々のひとつに認定されていますが、一般的にはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「アンギアーリの戦い」(フィレンツェのヴェッキオ館)の舞台として有名かもしれません。
町に近づくと、トスカーナ及び周辺に見られがちな、小高い丘に石造りの町並みが見えてきます。麓から一筋に伸びた急な坂道がメインストリート、アンギアーリの象徴です。 バスで町の頂上まで行き、そこから歩いて旧市街(町の中腹からメインストリートを右に向かう)まで降りて、ロケハンとスケッチ。夕方には、次の宿泊地モンタルチーノへ向かうので、あまり時間がなく、参加者めいめい自分でスケッチポイントを探しに出かけました。
ご高齢のため、他の参加者のように歩いてスケッチポイントを探すことが出来ないご婦人と共に、ここではタクシーを貸し切ってぐるりと廻ります。 まずは、ダ・ヴィンチの絵のタイトルにもなった戦場跡。1440年6月29日、ミラノとフィレンツェとのわずか1日の戦争でした。フィレンツェが勝利したことを記す小さな小屋をカメラスケッチ。振り返ると、ここからアンギアーリの町全体が見渡せます。 続いて、町の中腹を外側から見渡せるポイントに移動、横からアンギアーリ全体をカメラスケッチ。これで十分かと思いましたが、タクシーのドライバー曰く「ここから2kmほど離れたところに、素晴らしい教会があるから行こう」とのこと、歩いていくのは大変そうなので、引き続きタクシーで案内してもらいました。この地方の産業であるタバコ畑の真ん中にぽつんと建つのは、9〜10世紀に建てられたロマネスク様式のソヴァーナ教区教会。前回のツアーの訪問地ブリジゲッラ(コチラを参照)で見た、サン・ジョバンニ・オッターヴォ教区教会にも似た、美しい素朴な教会です。 最後に、町の最も高いところから見下ろす位置にある公園からカメラスケッチをして終了。2時間ほどあれこれ回ってもらって、タクシー代30ユーロはお得だったかもしれません。トスカーナ全体を案内しているそうなので、機会があればこの観光タクシー会社に連絡してみてください。英語が通じます。
アンギアーリは収穫の多い町でした。
モンタルチーノワインと美食の宿
アンギアーリを夕方出発し、トスカーナの糸杉の丘が続く地域を移動して、モンタルチーノに到着したのは夜8時過ぎ。世界文化遺産に登録されているオルチア渓谷の中心に位置しており、ワイン好きなら、ブルネッロというこの地方のワインの名前を聞いたことがあるかもしれません。非常に小さな町で、旧市街の中に団体で宿泊できるホテルがなく、車で5分ほどのところにあるホテル・レストランで3泊です。ホテル名は、そのままアル・ブルネッロ。
アンギアーリから続いた快晴は、ここモンタルチーノでの3泊中も続きました。トスカーナの特色であるレンガ造りの壁が朽ちた様子は、スケッチだけに限らず、ゆっくり散策するのにもちょうど良い町。多少のアップダウンはあれど十分歩ける範囲、端から端まで歩いて20分ほどの町です。
宿泊したホテル・レストランは、この地域で有名なレストランだそうで、わざわざこのホテルまで食事をしにくる人がいるほどなのだそうです。ホテル前には、広大なブルネッロの葡萄畑が広がり、朝食のフルーツのひとつとしてテーブルに並んでいました。 夕食は、前菜がスープとパスタの2品、メインはブルネッロワインを使ったジビエ料理に大きなポルチーニ茸を使った料理など、この地方の名産をふんだんに使ったもの。通常、ホテルやレストランでは飲み物代は別なのですが、ワインが売りのこのホテルでは、ワインとミネラルウォーター、食後のコーヒーまで飲み放題です。旅の疲れが出始めた頃ですので、前菜に必ずやさしい味のスープが出たのが好評で、後から参加者に伺ったところ、モンタルチーノでの夕食が最もおいしかったとの評価を頂きました。
市内のメインストリートには、ブルネッロワインを販売する店が何軒かあり、日本を始め世界中へ宅配してくれますので、お土産にどうぞ。但し最低6本(半ダース)からが一般的なようです。
マッサ・マリッティマ雨に映えるトスカーナの町
快晴のモンタルチーノで秋のトスカーナを満喫し、次の宿泊地マッサ・マリッティマへの移動日に再び雨。 ベルティノーロで受けたようなゲリラ豪雨ではないものの、途中でスケッチしながら夕方に到着、なんてスケジュールは無理そうです。そこで、日中のスケッチに立ち寄り予定だったチェルタルドには寄らず、まっすぐマッサ・マリッティマへ向かいました。お昼前には到着し、移動の間降っていた雨は、どうにか止んだようです。
マッサ・マリッティマは、トスカーナ州グロッセート県にある、中世の風情を色濃く残した町。 町の名前の由来は、海から約15kmしか離れていないことと、ここから北西に位置するチェーチナから南のチヴィタヴェッキアまでの海岸地帯の呼称が、マリティマ・レージョであったことによる名残です。およそ日本からの観光客は立ち寄りそうもない、又は名前も聞いたことがない町ですが、スケッチには良い町と考え組み込みました。 晴れていれば、高台から見るバラ色に映える家々の屋根と、その奥にどっしりと構える白い石造りのドゥオーモ、その家並みから続くシエナ軍の要塞とその中心にある時計塔(ともに13世紀)のごつごつとした色合いが良いコントラストです。 この町は、夕焼けに映える美しい町として、近隣では有名なのだそうです。旧市街を歩くと、迷路のように入り組んだ石畳の小道と、程よく朽ちた色合いの家々の壁、また観光ずれしていない人々は、スケッチをする人たちを適度に放っておいてくれます。快晴のトスカーナの風景は、写真集のように美しいかもしれませんが、雨に濡れた家並みと朽ちた壁のなんともいえない雰囲気は、やはり旅をしないと得られないものでしょう。
ここのホテルはレストランがないため、ホテル向かいのピッツァリアで夕食を取りました。ホテルスタッフのそっけなさとは対照的な、とても陽気なスタッフたちに迎えられ、このツアーの最後の夜は、3晩とも参加者共に楽しみました。翌日の新聞にも載るほどの雷雨が毎晩降りましたが、それに打ち消されることのない楽しい夜を過ごせたのは、ピッツァリアのスタッフたちのおかげです。
チェルタルド 高評価の美しい村
予定では、モンタルチーノからマッサ・マリッティマへの移動途中に立ち寄って、スケッチするつもりであったチェルタルド。参加者全員が、寄らずに来てしまった事が心残りであったようで、マッサ・マリッティマ滞在中、天候がよければ日帰りしようということになり、明日は帰国というツアー最終日に出かけました。
ここもアンギアーリ同様、イタリアの最も美しい村々のひとつに認定されていますが、村というよりは町といったほうが良いくらいの大きさ。戯曲「デカメロン」の作者ボッカッチョが晩年過ごした家があります。また、群馬県甘楽町と姉妹提携を結んでおり、プレトリオ館の奥の庭には「甘楽庵」という庵があります。
高台にある旧市街と麓にある新市街を結ぶのは、フニクラーレ(ケーブルカー)。サン・マリノでは、観光客に混じり、麓のボルゴ・マッジョーレ地区とサンマリノ市を結ぶロープウェーに乗ってみましたが、このフニクラーレは、より実用的な移動手段です。
旧市街全体は、赤いレンガで造られた街並み。民家の家並みも教会、プレトリオ館も全てレンガ色です。全体がとてもこじんまりとしており、メインストリートは5分もあれば行き着いてしまうような町ですが、参加者皆様ご自身のモチーフにあったようでした。
チェルタルドで最も高い塔の建物、ボッカッチョの家跡が博物館となっており、入場料を払えば塔に登って写真のような眺めが望めます。 快晴とは行きませんでしたが、夕方バスに乗るまで、幸いにも雨に降られることがありませんでした。ところが、バスに乗ってマッサ・マリッティマへ戻る途中、また大雨。つくづく雨がついてまわったツアーでした。
ヴェネツィア〜トスカーナと小国家サン・マリノ イタリアの風景をスケッチ
サンプル日程
上記日程は、絵画教室の先生と生徒のみなさんがモチーフに合うロケーションにて作品を仕上げることを目的にしたスケッチツアーの催行事例の概要です。
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